知ることで世界は変わる 〜光で想いを伝えるために〜

29 10月, 2018

執筆者:: Nahoko Ando

国際大会だけでなく、合宿などの練習や試合にも取材へ出かけ、パラリンピックスポーツの魅力を中心に発信し続けている写真家、越智貴雄。 また義足の女性たちを撮影した写真集『切断ヴィーナス』は、雑誌や新聞、TV番組など国内外の多数のメディアに取り上げられ、大きな反響を呼んだ。 アジアパラ競技大会2018の取材でジャカルタに発つ前日に、その精力的な活動の源を尋ねた。

越智がパラスポーツの魅力に取りつかれたきっかけは、大阪芸術大学写真学科在学中の2000年に開かれたオリンピック・パラリンピックのシドニー大会。

大学の教授から繰り返しオリンピックの素晴らしさを訊いていた越智は、いてもたってもいられなくなり、新聞社からオリンピック取材の仕事を得てオーストラリアへ。無事にオリンピックの撮影を終えて帰ろうとしたときに、「パラリンピックも撮影しないか」と新聞社から連絡があったのだ。

「その時は喜んでお受けしますと言ったのですが、当時の私には、障がいのある人は支援を必要としている人、という理解しかありませんでした。また、障がいのある人にカメラを向けてもいいのだろうかと悶々と考え、どんどん不安になっていきました」。

走り高跳び選手の鈴木徹氏。

走り高跳び選手の鈴木徹氏。

しかし、そんな思い込みは3週間後に開催されたパラリンピックの開幕式に参加すると吹き飛んでしまった。

「両足を切断した選手が逆立ちの状態で、片手だけでぴょんぴょん歩き、もう一方の手を観客に振りながら楽しそうに入場行進をしていたんです。競技では義足の選手が100メートルを10秒、11秒台で走ったり、車いすバスケットボールでは、選手同士が激しくぶつかって戦っていた。自分の中にあった大きな先入観や思い込みは、撮影していくうちに徐々に薄れて行きました」。

義足や車いすの障がい者に対する先入観がなくなってくると、反比例して見えてきたのは、選手それぞれの個性だ。さまざまな国際大会に自費で取材に出掛けるようになった越智は、選手とも顔見知りになってきた。

「2004年くらいから、大好きな選手を追いかけて密着取材するようになりました。ふだん働いている場所から、トレーニング、大会や海外遠征にもついていって。取材を重ねるうちに、どんどん好きな選手が増えていったんです」

陸上選手の前川楓氏(チームKAITEKI)

パラアイススレッジホッケー選手の上原大佑氏。

精力的に活動を行っている越智だが、いままでずっと順風満帆だったというわけではない。

2011年の世界陸上の撮影中のアクシデントでぎっくり腰になり、ヘルニアによる間欠性跛行を患った。連続で1分間の歩行しか出来ない状態になってしまった。

それから沢山の病院で治療をしたが、症状は一向に改善しなかった。悩み落ち込んだ越智は、写真の道を断念せざる終えないと考え、これまでの集大成として、六本木の富士フォトサロンで写真展を開催した。そこで転機となる出会いに恵まれた。

当時ハッセルブラッド・ジャパンの代表取締役だったペンライス・ウィリアム氏がたまたま写真展を訪れ、意気投合したのだ。もともと越智のことを知っていたウィリアムに、それまで誰にも伝えていなかった病気のことについて話すと、「必ず治るよ。治るまでいつまでも待ってる。何でもサポートするから」と励まされた。

ペンライス・ウィリアム氏(左)と越智氏(右)。ウィリアム氏はハッセルブラッド・ジャパンの代表取締役を務めたのち、プロフォトの代表取締役も務めた。

その後、ウィリアムとの出会いが良い方向に導いたのか、幸運にも良い病院を見つけた越智は、入院とリハビリを経て1年後に回復。退院してすぐに向かった先は、義肢装具士の第一人者、臼井二美男氏の元だった。入院中、回復したら何をやろうかとずっと考えていて、自分の原点に戻ろうと義足アスリートについて考えていたからだ。

「臼井さんにこう言われました。日本には、7万人くらいの義足の人がいるが、ほとんど隠さなければいけないと思っている。若い女性ならなおさらだと。それまでの私にとって義足の人といえば、リスペクトするアスリートしか知らなかったのでショックを受けました」。

義足を臆さず堂々と見せている人達を撮らせてもらおうと、臼井氏のつくった義足を履いている方たちを紹介してもらい撮影のお願いをした。ウィリアムに伝えると、ハッセルブラッド・ジャパンの本社スペースを撮影場所として貸し出してもらい、また機材やアシスタントも手配してもらえることになった。

まずは5名撮影してハッセルブラッドで写真展を行うと、TV局や新聞社が取材に訪れ、その報道がきっかけとなって写真集出版の話が舞い込んだ。最終的に11名の義足の女性を掲載した写真集『切断ヴィーナス』は、こうしてみんなの想いと協力の積み重ねで出来上がった。

写真集に登場する女性たちの撮影シチュエーションは多種多様。それは本人たちの個性を徹底的に重視して、「どう撮られたいか」を何度も話し合って一緒につくり上げた写真集だから。写真を見ると被写体が撮影を楽しんでいることが伝わってくる。

海が好きという阿部美佳さんのために、理想の海を探して九十九里浜、房総半島、由比ガ浜や三浦半島にもロケハンへ。最終的には伊豆半島最南端の白浜海岸で撮影。30分間の撮影のために、片道6時間半かけて訪れた。

越智がプロフォトの機材を使い始めたのは、この『切断ヴィーナス』から。今まで報道写真を撮ってきた越智にとって、スタジオ撮影には新鮮な発見があった。

「最初は4灯で紗幕を使ったフラットな光の写真が多かったのですが、やっていくうちにストロボの概念が変わりました。僕の中で義足は当たり前に美しいものでしたが、彼女たちの人生にはいままでに乗り越えてきた苦労や大変だった経験は必ずあるはず。その光と影を表現するために、義足に光を当てたんです。ストロボはただ明るくするだけではなく、伝えたい感情をのせるツールとしてあるんだ、面白い! と実感したのはこの時でしたね」

アーティストとして活動している須川まきこさん。基本的なフロント紗幕を入れながら、D1にグリッドをつけて義足にライトを当てている。

本人の個性を知ってもらいたいと企画した本イベントでは、好きな服を自由に着てステージに立ってもらった。多くの観客を集め、大成功を収めた。

石川県の中能登町で開催された切断ヴィーナスたちのファッションショーの様子。このショーのために作られた着物は写真集「切断ヴィーナス」の写真や昔の柄を中能登町が独自プリントした布で作りあげた。

NHKの企画で京都・平安神宮前で開催したバリアフリー・ファッションショーの写真。ミュージシャンの折茂昌美さんが右足に履いているのは、プラモデルのマシンガンを義足に装着したもの。

石川県金沢市の職人が本物の金を義足に塗りつくられたという「金の義足」。履きこなしているのは東京パラリピックを目指している湯口英理菜さん。

越智がふだん取材を続けているスポーツシーンでも、ストロボ機材は活躍している。

「最近、パラアスリートのメディア露出が増えていて、撮影時間が短くなっているんですよ。この時も車いすラグビーの撮影で、3分しか時間がなかったんです。ただ単に撮るだけではつまらない写真になってしまうので、両サイドからライトを2灯入れています」。

また2017年には、寝たきり芸人としてYouTubeなどで活躍するあそどっぐ氏の写真集『あそどっぐの寝た集』を発表した越智。

「脊髄性筋萎縮症」と診断され、顔と左手の親指以外は動かせない寝たきり芸人のあそどっぐ氏の体を張ったギャグに、「笑っていいものか」と迷いながらも、くすっとさせられる1冊だ。

ラッコに扮したあそどっぐ氏が実際にストレッチャーごと川の中に入って撮影した1枚。川の映り込みをきれいに出すために、B1で光を当てて反射を起こした。

ストレッチャーを押してくれるヘルパーさんに、ナンパする女の子を追いかけるよう指示を出している、あそどっぐ氏。街の中を歩き回って撮影したこの写真では、最小サイズのA1が活躍した。

2000年にパラリンピックと出会ってから、ブレずにまっすぐ撮影を続けてきた越智だが、自身が病気になったことによって表現方法がガラッと変わったと言う。

「それまでは、とにかく写真を撮って見せていくことがベースでしたが、1枚の写真だけで伝えるという感覚は消えたかもしれません。『知ることで世界は変わる』ということを伝えるための表現方法は広がっていきました」

『切断ヴィーナス』を発表していちばん嬉しかったのが、義足の小さな女の子が写真集を手に持ち、「将来大きくなったら私を撮影してください」と声をかけてきてくれたことだ。

他にも、『切断ヴィーナス』がきっかけでパラリンピックのアスリートが防炎普及広報用ポスターに起用されたり、企業広告のポスターに起用されたりすることで、同じ境遇の人や家族から「勇気づけられた」という声がたくさん聞こえてくるようになった。

「僕がパラリンピックを知ることがなかった人たちへつなぐ架け橋になれているのであれば嬉しいなと。そのためにアクションを起こす。そんなことを考えながら活動しています」。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、選手とともにますます越智の活動は加速していくだろう。

フォトグラファー:越智貴雄(http://www.ochitakao.com/

執筆者:: Nahoko Ando